ロイヤルコペンハーゲンの歴史

概要

ロイヤルコペンハーゲンって「ロイヤル」すなわち「王室」と聞いたことのあるような都市名「コペンハーゲン」ですから、陶磁器に詳しくない人でも聞いただけでただものでないと思わせるインパクトがあります。人によってはアイスクリーム屋かと思うかもしれませんが、それはハーゲンダッツ。なんとなくではなく、その本当の重みを感じるにはその歴史を振り返らなければなりません。
ロイヤルコペンハーゲンは1775設立ですから、2015年で240年目となるような歴史を持つ、デンマーク、いやヨーロッパを代表する陶磁器メーカーです。その美しい食器は世界中に知られています。しかし、その歴史は、その穏やかな美しさとは対照的に最近に至るまでダイナミックです。デンマークの皇太后に発案された三本波線が奇しくも暗示したように波瀾万丈の歴史を辿っています。ロイヤルコペンハーゲンよりも古いヨーロッパの磁器メーカーは有りますが存続と成長に向けて歴史や文化と密接に関係しながら設立時から現代にいたるまで作り続けているところはロイヤルコペンハーゲンの他に知りません。反対に歴史が過去のまま凍結されたように止まっているか、その歴史すら閉じてしまったメーカーが多いと思います。ロイヤルコペンハーゲン本社にはヒストリアン(歴史家)という書きの人がいますがこういう肩書きの人がいても全く不思議でないくらい、深い歴史があります。面白かった小説、ドラマ、素晴らしかった景色、よく知られた歴史、人物に関わりのある物って何かを語りますよね。そういった意味ではロイヤルコペンハーゲンは良く語る物だと思えるのです。
世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方
ヨーロッパ列強の植民地政策により東洋との貿易が盛んになり、日本、中国の陶磁器がヨーロッパに持ち込まれ、どうにか国内で作るよう大変な努力がなされました。現代の先端技術競争のような様相を呈し、ドイツのマイセンにつづいてデンマークの王室の庇護の下、ロイヤルコペンハーゲンも苦難の末に開発に成功しました。(マイセンについては「マイセン 秘法につかれた男たち」 を読んでに書きました。)その後の道のりも容易ではなく、1813年に国有銀行が破綻し、国土を失うなど国内事情も厳しいものであり、憲法が改正され、ロイヤルコペンハーゲンは民営化されました。しかし、ブルーフルーテッドの復活やイヤープレートの製造開始など、優れた技術とデザイン、および販売戦略により世界的にも広く認められ、王室だけでなく一般の人々に愛されるようになりました。 1970年代以降には 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1908年

1908年 Maddona Child by Christian Tomsen

ロイヤルコペンハーゲンの最初のイヤープレート。慎重なロイヤルコペンハーゲンが売れるかどうか確かめるために、2025枚しか作らなかった。普通は50万枚ぐらい。銀座の高島屋のロイヤルコペンハーゲンフェアをやったときにイヤープレートがすべて揃って展示されていましたが、皆さんバラの紙袋が誇らしげに持つあの銀座の高島屋ですら1908年だけはカケたものが展示されていました。 良い状態のものは、手に入りにくくなっていると思います。 300gとして約1,200,000円だから1gにつき、4,000円です。 金が1g 2,000円だから、金より高いのです。 初めてヨーロッパで磁器を作った錬金術師ベドガーは金は作れなかったですが、磁器が金よりも高くなっております。高くて貴重なものだけど、ほかのプレートより大きさが小さくて何となく統一感に欠ける点は残念。題名はマドンナと子供。別にマドンナのファンじゃないからいらないや。じゃなくて聖母マリアとキリストということなのでしょう。マドンナが縁の輪の上に書いてあるので絵が額縁にはまった感じではなく浮き出して見えないこともない。まあまあトリックアート風ってとこかな。 このトリックアート思い切ってまたやって欲しいけど、この最初のプレートと1912年と1916年だけでその後からは丸い枠のなかに収まることになる。 B&Gは丸く縁取りがないけど無いのも何となく寂しいと個人的には思う。B&Gを見慣れた人はロイヤルコペンハーゲンは窮屈で解放感がないと思うかもしれない。
photo

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1909年

1909年 Danish Landscape by St. Ussing

状態わかりませんがネットで40万円ではなくて4万円で売られている場合があります。1908年生まれの長男が120万円なのと比べると大きな差です。次男の絵柄は『デンマークの風景』と言い訳したくなるほど地味ですが、やはり希少性が大きな差になっていると思います。 100年前の皿で4万円ですからそれはそれで悪くはないです。これも長男とおなじく現行のものと比べると大きさが少し小さいです。小さいのに長男のように縁の上も使うのではなく縁の中に絵詰め込んでいるので窮屈な感じになっています。望遠鏡でみているような感じです。地味だけどデンマークの風景はよく表していると思います。この絵では雪が積もっているのでしょうが、郊外にでると緑の平原がうねうねしながらどこまでも続くような風景です。昔、Windows XPっていうのがあってそのデフォルトの背景がそんな感じでした。絵柄だけみると松かさがなぜか不自然に真ん中にぶら下がっている、ありがたみのない一枚に見えますが、天使が三人書いてあるのにお気づきでしょうか。縁のところをよく見てください。天使が描いてあるイヤープレートは人気が高いのですがこれは天使コレクターも見逃しているのではないでしょうか。三人もかいてあるのに。この松かさも侮ってはいけません。この松かさが1911年には縁に入り、現在の縁の原型になっているのです。(本当か?要出典)

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1910年

1910年 The Three Magi by Christian Tomsen

三人のおじいさんが赤ちゃんを拝んでいる、聖書を読んだことが無ければ意味不明の一枚。この三人は東方の三博士と呼ばれているトリオで、イエス キリストが生まれるのに気づいて遠くから仲良くやってきて、赤ちゃんのイエス キリストにプレゼントを上げたという、聖書のなかの登場人物です。キリスト教文化圏では知らない人はいないでしょう。まあ、登場はこのときだけなので、特に必要性を感じ得ないのですが、イエス キリストの誕生のすごさが賢い人には遠くからでも分かったのだという話です。この三人は時の王様に赤ちゃんのイエス キリストを見つけたら教えるよう言われていましたが、王様が将来、成長したイエス キリストに自分が取って代わられることを恐れて殺すつもりであることが分かってたので、すっぽかして帰ってしまいました。そういうありがたい三人を描いてあるこのプレートはしょうも無い約束は勇気を持って破ろうということを教えてくれています。15.5cmのプレートは1908年から続いていたがこれが最後。この後から現在まで18cmのプレートになる。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1911年

1911年 Danish Landscape by Oluf Jensen

Danish Landscape デンマークの風景という題は1909年にでたばっかりですがまたそうなりました。1909年 1911年のあとも 1915年 1923年にもDanish Landscapeがでてきます。確かにデンマークの風景なんだろうけど、いいのかそんな安易なネーミングで。いや、いいんです。このこだわりのなさが。むしろ現在の縁に近い松かさ模様の細かさや細い麦束の表現力を見てほしい。そちらの方が重要です。麦粒に比べて小鳥がやけに小さいけどそれも気にしなくていいです。こんな細い枝に大きな麦束をくくつけて、鳥が群れても折れないかどうかなんてことも気にしなくていいです。 デンマークの風景ですから。気にし始めると柵についている雪もなにか不自然にみえてきます。どんな風がつけばこんなふうに雪がつくかなとか。 それはさておき、この年から大きさが18cmになり少し大きくなりました。それによって縁の細かい松かさ模様が書ける余裕ができたと思います。松かさ模様を縁に描いた最初のプレートです。 この絵は麦束を取っておいてクリスマスの日に外にだして小鳥にあげる風習というかそういうことをする人がいたということのようです。窓の雪を払い、パン屑を置いたりもするそうです。 ペットや家畜もクリスマスにはごちそうにありつけます。 ちなみに遠くに見える建物は典型的な教会ですのでここでクリスマス風にしています。まあ、俳句の季語みたいなものですね。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1912年

1912年 Elderly Couple & Christmas Tree by Christian Tomsen

お爺さんとお婆さんが手を取り合ってクリスマスツリーの前にいる絵です。だから?と言われると難しいですが外国には年を取っても仲睦まじい様子を隠さない方日本よりおおいですよね。最近再婚されたのかもしれませんが。しかしお爺さんは凄いヒゲだしお婆さんは思い切ったショートカットです。髪飾りも奇麗です。イヤープレートのモデルとなるということで、おしゃれして来ました。おじいさんは凄いアゴなのかもしれません。クリスマスツリーと言っても鉢植えの木みたいで切り倒したもみの木とはちがいます。しかもテーブルの上に置かれています。星はついているけど、飾りがろうそく3本だけで非常にシンプル。ろうそくは長く、枝の上に立てるには不安定に見えます。倒れて火事になってしまうんじゃないかと、このお爺さんとお婆さんが心配です。クリスマスツリー自体は量販店で売っているプラスチックでできたクリスマスツリーのように左右完全対象となっています。ヒゲ、ショートカット、テーブルの上の鉢植えクリスマスツリー。これが100年前のデンマークの流行りなのか!? 最初のイヤープレートを作り、数々の素晴らしいフィギュリンを残したクリスチャン・トムセン Christian Thomsenが描いたこの老夫婦は、同年にロイヤルコペンハーゲンが399枚だけ製造した職人のための老人ホームの50周年記念のプレート「HAANDVÆRKER-FORENINGENS STIFTELSE ALDERSTRØST 1862-1912」にも現れます。(http://www.dphtrading.com/products/plates/rnr130)この夫婦は職人で引退して老人ホームで仲睦まじく暮らす二人と思われます。このプレートのほうがお二人の顔がよく見えます。クリスチャン・トムセンは52歳。年齢からしてひょっとするとここに描かれているのは、お父さんとお母さんなのかも知れないと思っています。クリスチャン・トムセンは木彫り職人としてキャリアをスタートしていますから職人の家系でご両親が職人のための老人ホームに入っていても不思議ではありません。 さて、このプレートはクリスチャン・トムセンが作った1908年と同じく縁の上にも絵が描いてある手法です。これで奥行きが保たれています。もし縁の中に人物がいたら窮屈です。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1913年

1913年 Spire of Frederik’s Church by A. Boesen

つっこみどころが多すぎる1909年から1912年の4枚でしたが (とは言ってももし飾ってあったら驚きますが)、飾りたいと思えるプレートついに5年ぶりに来ました。これは文句なく美しい絵柄です。
フレデリクス教会の尖塔です。フレデリクス教会は、1740年に建設が開始され、一般公開されるのに1894年までかかったという教会てす。1448年から続いたデンマークのオルデンブルク朝(オレンボー朝)300年記念のために計画されましたが、予算カットと設計者の死去により、遅延し、150年間廃墟のように佇んでいました。 1874年にデンマークの大臣が、ただ同然でCarl Frederik Tietgenに当初の計画で建築するという条件で渡そうとしますが、問題となり1877年に汚職で起訴てれましたがその大臣は無罪となりました。 Tietgenは予算不足で大部分を大理石で作るという当初の計画を変更し、一部を石灰岩で作って完成させました。 完成させた時には、300年記念となるべきだったオルデンブルク朝(1448-1863)は終わってました。 ローマのサン・ピエトロ寺院に似ていて、ドームの大きさは31m、サン・ピエトロ寺院の42mよりは小さいですが、スカンジナビアでは最も大きいものです。サン・ピエトロ寺院のように上まで登れます。アマリエンボーの近くにあります。ロイヤルコペンハーゲンのフラッグシップショップから歩いて15分ぐらいのところです。美しい教会です。アマリエンボーの近くですし人魚姫まで歩く途中にあります。美しい教会ですので観光で行ったときは立ち寄るとよいと思います。

この絵の不思議なのはこの角度で尖塔を観れる高い建物が周辺にないことです。想像で描いたのかもしれません。風景はおそらく尖塔に登ってみることができたと思います。遠くに大きな尖塔が3つ見えますがこれからして、風景の1番左の大きな尖塔はクリスチャンボー、その右がニコライ コンテンポラリーアートセンター、1番右がコペンハーゲン聖母教会なのではないかと思います。おそらくロイヤルコペンハーゲンの方向に向けて見ていると思います。尖塔の上の飾りの向きが合いませんが、そこは適当にアレンジしたのでしょう。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1914年

1914年 Sparrows in Tree at Church of the Holy Ghost, Copenhagen by A.Boesen

枯れ木がドーンと中央に描かれ、たくさんのスズメが止まっているこの絵を書いたBoesenさんは、1913年のイヤープレートでFrederik’s Churchからストロイエのロイヤルコペンハーゲンの方向に向いた絵を描いた人ですが、またもやストロイエのロイヤルコペンハーゲンのご近所の教会の絵を描いています。この特徴的な窓を持つ教会はChurch of the Holy GhostとかHoly Sprit(デンマークではHelligåndskirken(http://www.helligaandskirken.dk/))と呼ばれている教会です。観光地としてはあまり知られていない教会ですが、コペンハーゲンにあります。しかも地図を見ると分かりますように、ストロイエのロイヤルコペンハーゲンのフラッグシップストアのすぐ近くです。もう角を曲がってすぐです。歩いて1分ぐらいのところにあります。

Boesenさん、日常の行動範囲狭そうです。ちょっとはコペンハーゲンの外にも出たほうがよいと思います。さてこの教会は、1296年には病院であり、1469年には修道院となり、宗教改革後1537年から地区教会となったコペンハーゲンで最も古い歴史のある教会です。一つの門が1940年〜1945年になくなった愛国者の記念碑となっており、毎年5月5日の解放記念日に式典があるそうです。枯れ木がなんだかは知らないけど、スズメがたくさん止まっています。64羽。しかし、縁をみるとまだ14羽いる。合計78羽。1911年のイヤープレートにも、スズメが描かれているけど、8羽だけ。今回はその10倍以上のスズメが出てきた。この教会の関係者か、スズメ愛好者か、1914年に因縁がある人には非常に重要な一枚。その他の人には・・・。Boesenさん、1913年のプレートは素晴らしかったが、1914年のこの枯れ木スズメプレート以降、再び現れることはなかった。今でいう一発屋。この教会には今度コペンハーゲンに行った時には行って見てみたい。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1915年

1915年 Danish Landscape by A.Krog

1914年の枯れ木スズメに業を煮やしたのか1915年のイヤープレートデザイナーはブルーフルーテッドを復活させロイヤルコペンハーゲンを復興に導いた美術監督の大御所アーノルド・クローです。ロイヤルコペンハーゲンファンにクローを知らないなんて言うと舌うちされるほどの人です。アーノルド・クローの引退は1916年なので、最後にデザインをまかされたのではないかと思います。他のプレートには無い遠近感があり、ロイヤルコペンハーゲンに入る前までは建築家だったと言う情報もあるので、遠近法やデッサンにはそれなりの実力があったのでしょう。さすがだなと思います。アーノルド・クローのキャリアの締めくくるのにふさわしいものになったと思います。アーノルド・クローは、フィギュリンをいくつか作っていますし、80枚近い記念プレートの絵を描いています。(イヤープレートのように毎年作られるだけのものではなくて、王室関係、展示会、公的な式典などのため記念プレートはその時々限定でたくさんの種類の記念プレートを作っていました。) しかし、クリスマスプレートはこの一枚だけです。もう少し、アーノルド・クローの実力をみたければ、1912年の1912 Royal Copenhagen Memorial plate, Skagen Plate (DPH Trading)1864-1914 Royal Copenhagen Memorial plate 1864-1914 (DPH Trading)が参考になると思います。
右側の遠くに見えるのは教会で、大きな樅の樹がクリスマスツリーのように立っている道を馬車が教会に向かって走って行く絵です。道の途中から右に曲がって曲がった道が教会に繋がっています。そのみちにもたくさんの人が見えます。”The Story of Royal Copenhagen Christams Plates” Pat Owen著によるとクリスマス・イブに人々が教会に向かうところと書いてあります。私の知っているデンマークの人たちは、クリスマス・イブの午後まだ明るいうちに教会に行きます。(私はクリスマス・イブのリングビーの教会で当時の首相のラスムッセン氏を見たことがあります。目立った護衛もありませんでした。) そのうえ街灯もろくに無いのに、雪のつもった道を夜中歩くとは考えにくいし、プレートの風景は夜ではなく、昼で中央上に書いてあるのは星ではなく太陽かもしれないと思いました。しかし、よくみると星の形なので、やはりこの絵は夕方か夜の絵で描いてあるのは星なのでしょう。このプレートの相場はこの付近の年代のプレートとあまり大差無く、イヤープレートとの相場というのは、デザインや歴史的価値とは関係なく、希少性が主要因になっていると思えてきます。むしろ、デザインや質が悪かったりするほうが、存在する枚数が少なくなっているので高くなるのかもしれません。
暗くなってから教会に行くのかどうかが引っかかるのですが、やっぱりこれは名作だと思う。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1916年

1916年 Shepherd and Christmas Angel by R.Bøcher

1910年と同様に聖書の知識がないとなんだかコミカルな図柄。天使の前で、男がびっくりして腰を抜かしているか、張り手をくらって打ち倒されたのかというように見えるが、羊がいるのでこの男が羊飼いであることが分かる。新約聖書ルカによる福音書第2章の8節から20節に夜番をしていた羊飼い達の前に、いきなり主の使いが来て明るく照らしたので、びっくりしたエピソードが書かれている。羊飼いはイエス・キリストの誕生を天使から伝えられるのである。ここでは、落ち着いて天使の話を聞いてる羊飼いではなく、天使が現れて羊飼いがびっくりして慌てふためいた彼にとっては恥ずかしい瞬間を描いたものである。夜中に羽根のはえた人間が突然現れて、明るく照らされれば、もんどりうってひっくりかえるのは無理がないが、この二頭の羊はまったく動じる様子を見せていないのは天晴である。羊と言えば、群れて臆病な動物の代名詞。意外な一面を見せている。それとも鈍感力が強いのであろうか。それはさておき、デザイン的には天使の羽根の部分が縁にかかっており、縁の飾りも兼ねている省エネぶりが見事である。1908年と19010年にクリスチャン・トムセンが好んで使用した手法で、すっきりしたデザインになっている。全体的に人間の感情が表にでていて、特に「驚き」とか「怖れ」の感情がでているプレートは珍しい。「何これ、どうしたの?」と興味を持たせてくれる、実は個人的には好きな一枚である。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1917年

1917年 Tower of Our Saviour’s Church by Oluf Jensen

1911年のイヤープレートを作ったOluf Jensen再び登場です。このあとも頻繁に登場します。枯れ木に鳥を止まらせるのが好きなようで、この1917年、1921年、1923年でも描いています。 1917年は救世主教会の尖塔が描かれています。場所は以下の地図を参照してください。

400段以上ある狭い階段を登って行くと、コペンハーゲンを一望できる絶景を見ることができるかなり評判のよい観光スポットになっています。この絵を見ると、尖塔の先の螺旋部分とその上の地球と救世主の像が描かれています。しかし、実際の塔をみると、螺旋の下の部分はかなりの高さまで角柱の建物になっています。その部分は建物に隠れて描かれていませんが、コペンハーゲンは平坦なのでどうも角度からして不自然に見えます。現在とはもちろん町並みは違うでしょうから何とも言えませんが、尖塔の螺旋部分のその上に立つ地球儀と救世主の像を強調したかったのでこのようになってしまったのではないかと思います。なぜ、螺旋部分を強調したかったのか。それはこのエピソードに由来します?(要出典)。
ユリアネ・マリエの夫でデンマークで磁器を作る試みを始めたあのクリスチャン5世が1682年から14年かけて1696年に完成した教会ですが、1750年にフレデリク5世が、銅で覆われた塔に金色の地球とその上に救世主を建てろと命じました。救世主は勝利の旗を持っています。86メートルに達する段々の螺旋階段がついた塔になりました。The Story of Royal Copenhagen Christmas Plates, Pat Owen著にはフレデリク5世が、最初に見た時に、「螺旋の巻き方が逆だ。」と批判したためにデザイナーのThurahは悲しみのあまりこの塔から飛び降りて自殺したとあります。
しかし、Thurahは塔の完成後7年後に亡くなっていますので、どうやら都市伝説のようです。wikipediaのフレデリク5世を見ると『「1760年に事故で足が怪我すると体がだんだん弱くなり、1766年に死去した。最後の言葉は「余にとって大いなる慰みは晩年において、けして何人もわがままに攻撃しなかったことと、余の掌に一滴の血が落ちなかったことである。」であったという。』ということです。
中世の螺旋階段は、攻め込んできた登り側の兵士の剣が使いにくく、上からの守り側の兵士の剣が使いやすいように、時計周りにするのが常識でしたから、その名残りで時計回りが普通と感じるので螺旋の周りかたが逆だというのも分かります。ヤッチマッタナーって感じです。何故反時計周りにしたのかよくわかりませんが、皆が抱く疑問ですので、そんな都市伝説が生まれたのだと思います。このプレートを見て、「あれ螺旋が逆だね、不思議だね。」というのが、このプレートの楽しみ方かもしれません。ランドマークに逆向きに螺旋をつけるなんて壮大な間違いをしても後世みんなが楽しんでくれるんだから、あなたがやった小さな間違いなんて大したことないと言うことも教えてくれます。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1918年

1918年 Sheep and Shepherds by Oluf Jensen

草原に、羊の群れと人影、空には巨大な星が光っています。これもデンマークではクリスマスプレートと呼ばれるイヤープレートですから、聖書と関係ないはずはありません。新約聖書のルカ2:8に書かれている場面と思われます。この人影はキリストが生まれた夜にベツレヘムで野宿で野番をしていた羊飼いです。そう1916年のイヤープレートの場面の直前です。このあと主の使いが彼らの所にきて、主の栄光で周りを照らすのです。先にこの図柄を出してから翌年1916年の図柄をだせば「あー、やはり去年の図柄は聖書のこの場面だったのか。」と納得したはずなのにスターウォーズみたいに公開と話の順番が逆になってしまいました。
羊の群れをこんな小さいプレートに描こうとしたらどうしますか。Oluf Jensenさんは天才的です。モヤモヤを描きました。しかし見た人にはモヤモヤだけでは羊の群れとは思えません。そのため大きく群れから離して手前に羊を三頭描きました。三頭でけでは群れに見えませんが草原にいるのは羊なのかと、それではあの遠くに見えるモヤモヤは羊の群れだなと、思う訳です。そして人影を描きます。羊飼いだなと、思う訳です。そして巨大な星を描きます。すると、夜の風景だなと思う訳です。あの星は巨大すぎるので何か意味があるのでは無いかと思う訳です。すべてを総合すると、あの星は東方の三博士を招いた星でないかと、これは聖書のあの場面だなと腑に落ちる訳です。
聖書を知らないとただの草原の風景でなんの変哲も無いような図柄ですが、見てから、あーあれかと3秒ぐらいかかって分かる心地よさがあるのです。
縁に三人の天使が描かれているものお見落としなく。1909年と同じ三人組の天使に見えます。

ロイヤルコペンハーゲン イヤープレート 1919年

1919年 In the Park by Oluf Jensen

何の意味があるのかよくわからない鳥と木の絵なのでパット・オーエンさんが書いた『THE STORY OF ROYAL COPENHAGEN CHRISTMAS PLATES』には『イン・ザ・パーク(公園にて)』というタイトルだけれども作者(オラフ・ヤンセン Oluf Jensen)が死んでいるので実際に公園の風景を描いたものかもう誰にも分からないとか、さんざんなことが書かれています。(フルネームはCarl Christian Oluf Jensenで1871生まれ1934没です。1885年14才の時からロイヤルコペンハーゲンで働き始め、63才で亡くなるまで在籍していました。)木の枝は適当に想像で描くとどうしても不自然になるので、実際の木を見てスケッチはしていると思います。しかしテーブルかベンチか分からない物体は脚がどうなっているのか分からないし、左側は木の陰にして適当にごまかしている様に見えるので、実際の公園の風景なのか疑いがかかるのも分からなくはないです。アンデルセンのニワトコおばさんを想定して描いているのではとオーエンさんは書いていますが考え過ぎでしょう。たしかに枝振りはニワトコの木に似ていますしベンチが木の下にありますがニワトコおばさんと関連づけるのは無理がありませんか?
1911年にオラフOluf Jensenさんはクリスマスに麦束にとまる小鳥を描いています。この絵でも雪の上に麦わらが落ちています。クリスマスの風習で鳥達にあげた麦と思われます。ここでようやくクリスマスとの関連が辛うじて保たれています。オラフさんは小鳥を描くのが好きですし(1911、1917、1919、1921、1923)、近くに大きく描いて遠くに小さく描く手法は1918年と同じです。彼らしいといえば彼らしいのですが、なんか遠近感がおかしいのも彼らしいです。1911年は鳥の大きさが麦粒と同じぐらいで、ギネス並みに麦粒が大きいか、ギネス並みに小鳥が小さいかどちらかでした。今回は、どうみても小鳥体型の鳥が麦わらの半分ぐらいの大きさです。30センチから40センチはあるでしょうか。でかい小鳥ですね。いやもう小鳥とは呼べません。おそらく描きたかったのは小鳥と麦。これだけで彼の中ではクリスマスなのです。後ろの背景は何でも良かったのではないかと思います。

フィスカースとは

ロイヤルコペンハーゲン、イッタラ、アラビア、ロールストランド、ウォーターフォード、ウェッジウッド、ロイヤルドルトン、ロイヤルアルバートを傘下におくフィスカースというフィンランドの会社はどういう会社なのか気になって調べてみた。名門貴族の動きがすごかった。どうも同じスペルでも 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲンお買い物情報

本サイトはショップではありませんが、購入できるところを捜されているかたも多いようですのでネット上の販売店について紹介しておきます。価格をしらべるのにも便利です。

初めてコペンハーゲンのロイヤルコペンハーゲン本店に行ったとき、ゆっくり店の中を見て、記念にフルレースのプレートを一枚だけ買うことにしました。色の薄いのから濃いのまで何枚か見せてくれて、その中からゴテゴテに色の濃いのを選びました(飾りですから)。免税の書類とか貰って帰ってきて、家ではその一枚だけがプレート立てに立てて食器棚に入れてあります。それだけで他の食器も良いものに見えてくるようなこないような・・・です。 高い買い物でしたが眺めるたびにかなり前ですが行ったときのことは思い出します。ダブルレースのプレートを買う日が来たときには本店で買いたいと思いますがその日は来るのかどうか。

しかしロイヤルコペンハーゲンの製品を買うため(実際は見るだけのため)にコペンハーゲンまで行ってられませんし、国内の近場でも探し歩くのも大変だし、買うなら少しでも安く手に入れたいし、古いものは正規店には売っていないということで、やはりネットで手に入れるの(眺めるだけ)が便利です。 その中でもお勧めのショップを紹介します。 続きを読む

ミラノ国際博覧会 ミラノ万博 予備知識ゼロ

ミラノ万博というのが開催されていると聞いて予備知識ゼロで行ってきました。というか立ちよりました。
日本パビリオンについて、ミラノ国際博覧会への行き方、ミラノへの行き方については下のほうに書きました。

IMG_20150509_172417IMG_20150509_194618

万博としては史上初めて「食」をテーマに開催されるということなので、食の文化、すなわち、食器にも深く関わりがあるかもしれないと思いましたが、ほとんど関係ありませんでした。1906年のミラノ博ではロイヤルコペンハーゲンのChristian Thomsen が銀賞を取っていますし、パンとか皮つきのポークローストとかピクルスとかホットドッグとか本当においしいのにデンマークパビリオンがなくて残念でした。また行きたくなってきたデンマーク。チーズとハムとワインが好きじゃない人にはイタリアの食事は大変です。
ミラノ博は「食」というテーマが分かりにくいためか、あまりよく知られていないか興味をもたれていないようで土曜日なのに意外と空いていました。今は逆にどう食べないようにして体重をコントロールするかのほうが関心が高いような気がします。意味不明でしたが会場内にジムがあったり、自転車マシンにのって運動している一群がいました。

35ユーロぐらい払っても、中で食べ放題なわけではなく、また高いレストランが待っているわけですし、街には国際色豊かなレストランがありますから、わざわざ行かなくてもいいかとなっても不思議ではありません。35ユーロ払えば日本だったらビュッフェでいろんな料理が食べ放題ですね。あまり混んでいなくて各パビリオンはほぼ通り過ぎるように入れると言う感じでした。日本パビリオンなどいくつかを除いては。
しかし入ってみると、お祭りみたいなもので各国趣向をこらし、 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレート

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートとは

イヤープレートといえばロイヤルコペンハーゲンですね。戦争があろうが、恐慌があろうが、1908年から毎年途切れることなく作られつづけています。2006年末に発売された2007年のイヤープレートで通算100枚目となりました。年号が書いてある飾るしかないお皿なんですが特別な事があった年のプレートがとなんとなく欲しくなる不思議なお皿です。よく観光地で名前の入ったキーホルダー売ってますが 続きを読む

「マイセン 秘法につかれた男たち」 を読んで

2005年05月22日

ヨーロッパの陶磁器を調べるにはやはりマイセンは避けて通れません。 ということでマイセンも少し勉強することにしました。 教科書は「マイセン 秘法に憑かれた男たち」という本です。 アマゾンで入手しました。 ジャネット・グリーソン著 南條竹則訳 集英社刊で税込み2205円です。 下のリンクをクリックしてアマゾンに入ると下の方にカスタマーレビューがでてきます。 これを見て思わず注文してしまいました。 読み始めてみて本当に面白く、マイセン、ブルーオニオンなど興味が湧いてきて調べたり、ドレスデン展を楽しめたりしましたのでそのことについて書きました。この本ホントにありがとう。
マイセン―秘法に憑かれた男たちphoto

続きを読む

ボーンホルム計画 レポート

磁器をつくるために欠かせなかったカオリンという鉱物はデンマークのボーンホルムという島で採掘され、デンマークで磁器を生産することが可能になりました。このカオリンが採掘されたボーンホルム島はどういうところなのか、カオリン採掘地はどういう場所にあったのか興味があったので行ってみました。この旅行についてまとめました。かつてのカオリンの採掘現場にたどりつけただけでなく、美しい風景、博物館、古城など観光を楽しみました。多くの陶芸家も住んでいて、陶磁器の文化も生きています。とても美しい島で、また行ってみたい、いや、住んでみたいと思えるような場所でした。ブログを作成したときに少しずつ書いたものをまとめました。これから観光に行くかたの参考にすこしでもなればありがたいです。
続きを読む

ボーンホルム計画 前準備

2005年08月10日 唐津からはじまった

本を読むのには都会の喧騒をさけて、静かで美しい場所に行くのがよいでしょうということで、選んだ場所は遠く九州、佐賀の唐津でした。 理由は
1. はなわが佐賀にはなんにもないと言っていので静かなはずだ
2.唐津には映画「グラン・ブルー」の主人公のモデルとなったジャック・マイヨールが子供のころ過ごし、イルカとであった美しい海があるはずだ。
3.唐津周辺には窯元が多数あるはずだ。
と思ったからです。 そこで虹の松原という美しい松林があるビーチの近くに宿をとりました。
案の定、唐津は夜さまよい歩きたくなるような町ではなく、混雑とは無縁で静かなリラックスできる場所でした。 しかも、美しい海は想像以上でした。 サー ファーはおらず、刺激的なお姉さん方もおらず、海の家もなく、あるのは透明度が高く、青い海と青い空、綺麗な海岸でした。 海岸で時間を過ごしすぎ、窯元 めぐりをしたのは夕方遅くになりました。 車で走っていれば窯元に当たるだろうと思って地図も見ずにレンターカーを走らせましたが、時間が遅くてどこも閉 まっていました。 しかし、道すがら看板を見つけ、一件開いているところがあったのでそこを見てみました。
続きを読む

ユリアネ・マリエ皇太后

ロイヤルコペンハーゲンのパターンはいくつも廃盤になったものがありますが、その中にロイヤルコペンハーゲンの創設を資金面で助け、青い三本の波線のマー クを考案した、ユリアネ・マリエ皇太后の名前を冠したJuliane Marieというものもありました。 恩人に対して失礼のような気もしますが..

ロイヤルコペンハーゲンの設立を援助したデンマーク王室のユリアネ・マリエ皇太后は、肖像画を見るとふっくらした美しい婦人で、政治などには感心がなく、高価な陶磁器や装飾品に囲まれて、優雅な生活を送っていたかのように見えますが、実際は全く違いました。 あまり良くなかったクリスチャン7世がつれてきたストルーエンセというドイツ人医師が強引な改革を進めたために、エリート軍人たちが1772年1月に反乱を起こし、そのときにユリアネ・マリエ皇太后と皇太弟フレゼリクが担ぎ上げられました。 クーデターは成功し、捕らえられたストルーエンセは八つ裂きの刑に処せられています。 ユリアネ・マリエ皇太后はクリスチャン7世の継母で、その皇太弟フレゼリクの実母です。 フレゼリクはまだ19歳だったので、ユリアネ・マリエ皇太后は新政権の体制固めに奔走しました。 大変だったんですね。
続きを読む

フローラダニカ

実は、私はどこでも美しいと絶賛されているロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカの良さが分からず、草の根っこまで書くこともないのになどと思っていました。 確かに、図鑑のコピーのように、丁寧に書かれているし、手間もかかることも分かるし(7回焼くらしい)、金縁ですし、かわいらしい花がかかれていて遠目には美しいものもあります。しかし、よく見ると食器に使うにはあまりにリアルで、花でさえ、暗闇に咲く毒花か、食虫植物か、空想上の深海植物のような雰囲気を醸し出しています。スープを飲んでたら底からキノコがでてきたらびっくりします。 デンマークの作家、アンデルセンが書いた「裸の王様」のように、誰かが勇気を持って「気持ち悪い」と言ったら、気持ち悪くなってしまうのではないか・・・ ロシアの女帝エカテリーナ2世に送ろうとして女王が死んだのでやめたといわれているが、もらっていたら嬉しかっただろうか・・・と思っていたわけです。
続きを読む

エカテリーナ2世 エカチェリーナ

ロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカはロシアのエカテリーナ2世にあげることを目指して作られました。 さてそのエカテリーナ2世というのはどういう人だったのでしょうか。

名前についてWikipediaによると「日本では従来「エカテリーナ」の表記が多かったが、原音により忠実な「エカチェリーナ」の表記が普及してきた。また、ドイツ語や英語由来の「カタリーナ」(Katharina II.)、「カザリン」、「キャサリン」などの表記も散見する。」ということなのでよくわかりません。しかも英語ではCatherine the Greatということです。

彼女はデンマークにとってやっかいな恩人でした。 簡単に概略を書くと、 続きを読む

Johann Christoph Bayer

ロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカを描いたヨハン・クリストフ・バイエルについて、「十分なあかりが取れない環境での激務に、バイエルの健康は侵さ れ、視力を失いました。」とロイヤルコペンハーゲンの「Flora Danica」日本語版に書いてありました。19世紀前半のノルウェーのコバルト鉱山では社会保障の考えができていましたが、彼の場合、退職後亡くなるまでロイヤルコペンハーゲンから年金をもらえました。しかし、 続きを読む

Sven Vestergaard

1986年からロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートの デザインをしているスヴェン・ヴェスタゴーさんSven Vestergaardが来日しているとの情報を得て、あわてて日本橋の三越に行ってきました。 待っていると優しそうなおじさん がやってきました。 話しかけると、にこやかに話してくれて、こんなに優しそうな人雰囲気をしているおじさんがいるだろうかと思うぐらいでした。 なぜ 20年間描いていた子供の絵を止めたのか失礼かと思いましたが聞いてみましたが、 続きを読む

センテニアルプレート

ロイヤルコペンハーゲンで最初のイヤープレートが作られたのは、1908年ですから、は2008年に100周年を迎えます。 それを記念して、ロイヤルコペンハーゲンでは、2004年から毎年1月1日に昔のイヤープレートのデザインを使ってセンテニアルプレートを発売しています。
センテニアルプレートのデザインは2004年は1937年、2005年は1945年のイヤープレートでした。 2006年は1954年のイヤープレートのデザインです。 2007年は1988年、2008年は1908年の最初のイヤープレートのデザインになる予定です。
1954年は、アマリエンボー城のデザインです。 センテニアルプレートは、15cmとイヤープレートの18cmよりもやや小さいサイズです。イヤープレートがクロンボー城で、センテニアルプレートがアマリエンボー城ですので来年は城デザインのプレートの年です。
楽天内のセンテニアルプレート

コバルトブルー計画 Blaafarveværket コバルトブルーを求めて

2005年09月13日 コバルトブルー計画 Blaafarveværket コバルトブルーを求めて

「KONGELIGT PORCELÆN 1775 – 1820」 の最初のページの方に、磁器の写真が載る前に、何かの村と赤茶けた断崖絶壁が載っています。 これが、ノルウェーの首都オスロの西にある Blaafarveværket ブラファーヴェヴェアゲットです。 BlaaはBlue 青、farveはcolor 色、veværketはfactory 工場・工房です。 青色工場。 なんだと思いますか。  続きを読む

緑のブルーフラワーとグリーンフルーテッド

「KONGELIGT PORCELÆN 1775 – 1820」の37ページに緑のブルーフラワーについて、なぜ緑になっているかについて34ページから詳しく書いてありました。大体以下のような内容です。
「他の青で描かれた模様と異なってブルーフラワーが描けるのは、数人だけでした。 1794-1804年では10人のペインターのうちの3人だけでした。  L.H, R.S., C.A. というペインターは、ブルーフラワーとともに虫も描いています。 オーバーグレーズのペンイターでした。 ブルーフラワーは焼くのに失敗すると、灰色や黒 になるので、マイセンから来たShlegelというペインターが、 1780年に緑にオーバーグレーズで塗ることを初めました。 描いたり焼いたりしなければならないので、ほとんど利益はでませんでした。 これはロイヤル コペンハーゲンの美術館にも飾られていて、ペインターサインは2です。 2のペインターは、1806年からブルーフラワーを描き始めています。」
続きを読む

ブルーフルーテッドについて

ロイヤルコペンハーゲンではブルーフルーテッドと呼ばれる花麦藁手というパターンは、マイセンではマルコリー二期(1774-1812年)以降、急に少なくなり、オニオンパターンが作られるようになったそうです。 これについて考えてみました。
確かに不思議なことであります。 現在では、「ブルーフルーテッド」、「ブルーフラワー」といえば、ロイヤルコペンハーゲンのもの、それ以上に、ロイヤ ルコペンハーゲンを象徴するものと思われますが、前者はマイセンの「花麦藁手」、後者は「アルトブランデンシュタイン」のコピーでした。 オニオンパター ンもブルーフルーテッドに少し遅れて1781年にロイヤルコペンハーゲンで製造が始まっていました。
なぜ、申し合わせたように、ロイヤルコペンハーゲンがブルーフルーテッドを作り、マイセンがオニオンパターンを作るようになったでしょう。  続きを読む

マザーズディプレート

マザーズディプレートとは

1907年ごろのアメリカから世界に広まりまった母親に感謝する日、母の日にむけて年毎に作られたプレートです。 世界的には5月11日ですが、デンマークは日本と同じく5月の第二日曜日です。

その歴史

ビングオーグレンダールのマザーズディプレートは1969年から現在まで続いています。 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲンのペインター

ペインターのサインが、アルファベット二文字から三文字でフィギュリンや食器の底に入っていることはご存知と思います。 イヤープレートでは1928年までは番号が使われていました。それからイニシャルが書かれるようになりました。1950年までは小文字で、それ以降は大文字で書かれています。小文字の時代は特にxが最後に付け加えられ3文字になるパターンが多いようです。xで始まる名前は珍しく不思議でしたが、単にpainted byという意味だそうです。参考
続きを読む

ロイヤルコペンハーゲンの置物、フィギュリンに関する参考文献・本

ロイヤルコペンハーゲン

Royal Copenhagen Porcelain Animals and Figurines Revised 2nd Edition

著者 Robert J. Heritage

出版社 Schiffer Publishing Ltd. 4880 Lower Valley Road Atglen, PA19310 Schifferbk@aol.com www.schifferbooks.com

定価 $39.95

言語 英語

目次

Preface 4 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲンの置物、フィギュリンの着色について

フィギュリンの着色の仕方

 ロイヤルコペンハーゲンのウェルカムセンターには、フィギュリンの着色工程が分かるように、着色のステップごとのフィギュリンが展示されている。 モデルはロングセラーの名作Reading Childrenであった。 色をつけてから、それを取り除くという、イヤープレートと同じ手法が用いられているようだ。 以下はそれから予想される着色の仕方である。 続きを読む

ロイヤルコペンハーゲン、ビングオーグレンダールの製品の等級について

一級品

 フィギュリンの底の三本波線にキズが無い。B&Gの場合、城マークにキズが無い。 検品の結果問題が無いと判断さ れたもので、正規品として(おそらく最初は定価で)販売されたものである。 手作業でペイントされるので一つとして同じフィギュリンはない。 一級品で あっても完璧かどうかは別で極めて神経質に見ればなんらかの欠陥がある場合もあり、少々の白い点などは見逃される場合もある。 続きを読む

製造年 ビングオーグレンダール

ビングオーグレンダールはロイヤルコペンハーゲンのように文字にマークを入れる方法をとらなかったので製造年が分かりにくいです。
年代によってマークの形が異なっているのでそれから判断しますが、マークはかすれ気味で断言するのは難しい場合があります。

1853-1895

B&Gのみ BとGが&に比べて大きい。縦長の字体。

続きを読む

製造年 ロイヤルコペンハーゲン

フィギュリンの底についているロイヤルコペンハーゲンのマークから
製造した年代が分かります。近年のものは特に文字の周りに印を入れて、
比較的明快に分かるようになっています。
システマチックでありつつも、いきあたりばったりの雰囲気があり、
マークのつけ方に行き詰るといろんなことを思いついていて面白いです。
スタンプからの年代の読み方の説明と、これからのマークの付け方の大予測をしてみました。
続きを読む

リングビーポーセリン 正式名称 Porcelaensfabrikken Danmarkの歴史

概要

通称リングビーポーセリン(Lyngby Porcelain)、正式名称をポーセリンファブリッケンダンマーク(Porcelainsfabrikken Danmark)という。1936年から1969年まで存在した。 デンマークではディナー、コーヒーサービスセットのダニルが成功して広まっているので知っている人は多い。 (白い皿に濃い青と水色の線が入っている。) 正式名称を和訳するとデンマーク磁器工場になってしまい、区別しにくいため、リングビーポーセリンで通っている。 フィギュリンが製造されたのは後期の1961年から閉鎖までの1969年までと短い。閉鎖に至る理由については不明であるが、国内にロイヤルコペンハーゲン、ビングオーグレンダールという強敵がいたことから、経営は厳しかったのではないだろうか。 2012年にドイツのデザイン会社により復活している。

続きを読む

Philip Schou

Arnold Krog(アーノルト クロー)の功績は2004年から2005年にかけて、滋賀、東京、大阪、岡山で開催された年のロイヤルコペンハーゲン展でも紹介されてましたし、ある程度知られているように思いますが、このArnold Krogを見出したフィリップ シャウ(Philip Schou)というおじさんも大変な功績を残しています。 この才能があり、謙虚かつ大胆で、経営者として優れ、人間味のあるおじさんが好きです。 これから少しずつ紹介しようかなと思います。

フィリップシャウ(1838-1922)は技術者で1863年に設立されたAluminiaという陶器工場を彼が30才の時、1868年から経営していました。 続きを読む

Knud Kyhn

プロファイル

「最初はペインターであったが、後にデザイナーになった。RCとB&G両方で働いた。初期にはTuxenの芸術学 校、Karl Schrodersの工房で学んだ。 RCで働いたのは1903-1910年、1941-1932年、1936-1943年、1948-1978年、 B&Gで働いたのは1908-1915年と1933-1935年である。最初は花瓶のペインターであった。二回目にRCで働いたときに、 続きを読む

Ingeborg Plockross Irminger

プロファイル

以前のロイヤルコペンハーゲンのサイトに写真が載っていたが大人になったエルセのような風貌である。今は残念ながら載っていない。  1880年生まれで1962年没であり、1893年から1899年までロイヤル芸術アカデミーで修行して1898年からB&Gで働いた。  RCによるB&G買収後も彼女の多くのフィギュリンがRCのフィギュリンとして残り、 続きを読む