RoyalBlueDK ロイヤルコペンハーゲン等のデンマークの陶磁器 www.royalbluedk.com
ロイヤルコペンハーゲンの歴史
ロイヤルコペンハーゲンは、230年近い歴史を持つ。デンマークを代表する陶磁器メーカーである。その美しい食器は日本でも広く知られている。
その歴史は、その穏やかな美しさとは対照的にダイナミックである。ヨーロッパ列強の植民地政策により東洋との貿易が盛んになり、日本、中国の陶磁器がヨーロッパに持ち込まれ、どうにか国内で作るよう大変な努力がなされた。現代の先端技術競争のような様相を呈し、ドイツのマイセンにつづいてデンマークの王室の庇護の下、ロイヤルコペンハーゲンも開発に成功した。
その後の道のりも容易ではなく、1813年に国有銀行が破綻し、国土を失うなど国内事情も厳しいものであり、憲法が改正され、ロイヤルコペンハーゲンは民営化された。
しかし、優れた技術とデザイン、および販売戦略により世界的にも広く認められ、王室だけでなく一般の人々に愛されるようになった。 1970年代以降にはライバルの陶磁器メーカーや銀製品メーカー、スウェーデンのガラス製品メーカーを次々に買収してロイヤルスカンジナビアとして北欧を代表する巨大グループとなった。
現在、デンマーク国内のロイヤルコペンハーゲンはフレデリクスバーグから移転し、コペンハーゲンの西にあるGlostrupにある。
Smedeland 17DK-2600 Glostrup
TEL:+45 3814 4848
Fax: +45 3814 9908
会長: Flemming Bent Lindelov
副社長: Jan Oscar Froshaug
取締役: Erik Danquard Jensen, Nils Ulrik Garde Due
紀元前16世紀−紀元前1066年
中国で磁器が現れる。
20年-225年
中国で磁器製造技術が成熟。
1279年-1368年
軟質磁器から硬質磁器へ。 景徳鎮発展。
1493年
コロンブスがアメリカに行って帰ってくる。
1497年
バスコダガマ 喜望峰を通過 インド カリカットへ(1498)
1557年
ポルトガル人がマカオをアジア貿易の拠点とする。
1581年
スペイン人がマニラを占領、アジア貿易の拠点とする。
1600年
イギリス東インド会社設立 貿易がシステマティックになる。 最初西洋人が欲しがったのは陶磁器ではなく、香辛料だった。 デンマークの東インド会社はクリスチャン四世が1616年に設立。 オランダ東インド株式会社(1602年設立)、フランス東インド株式会社(1664年設立ルイ14世)
1616年
朝鮮の李参平と呼ばれる帰化陶工が日本の有田で磁器を製造した。
1647年
柿右衛門が絵付けの技術を確立した。
1659年
中国の内乱で景徳鎮が輸入できなくなったヨーロッパで、有田焼の需要が高まりイマリがヨーロッパに輸出された。
1700年ごろ
アジアの磁器がペルシャ、トルコ経由で入ってきた。海上ルートによる貿易が盛んになってきくるとともに、王室での関心を次第に惹くようになってきた。 まだ高価であったが、コーヒー、紅茶、ココアを飲む習慣により金属のように熱を伝えない磁器は生活に欠かせないものになってきた。
1709年
サクソニー(現在のドイツ北西部)の国王に仕えていたJohann Friedrich Bottgerが初めて茶色のストーンウェアを製造した。 その後、石英、長石、カオリンから磁器を製造できること発見した。 やがて秘密は漏れてしまい、ヨーロッパで18世紀に磁器メーカーが設立されることになる。
1714年
Bottgerは秘密を守るため城に軟禁されていたが自由を得る。 しかし、長い研究生活で疲れきり、有毒ガスに侵されていたため、長い闘病生活の末、死去。酒に溺れたという説もある。
1740年ごろ
麦わら菊という東洋の磁器の模様から作られたブルーフルーテッドの模様がヨーロッパに現れ、マイセンで描かれた。
1747年
ボーンホルムでカオリンの採掘始まる。このころはデンマークではまだ磁器の必須成分と分かっていなかった。Niels Birchという人が1755年に見つけたという説もある。
1747年
フュルステンベルク(Furstenberg窯)設立
1751年
フュルステンベルク窯が磁器の製造に成功した。フュルステンベルク(Furstenberg窯)からロイヤルコペンハーゲンにきたA.C.Luplauという人がブルーフルーテッドを描いたという説がある。
1754年
マイセンのJ.G.Mehlhornというペインターが来て、ロイヤルコペンハーゲンが設立される前の、デンマークでの初期の取り組みに参加し、技術者としても働いた。
1755年
StrasbourgからJ.G.Richerという人が来て磁器の開発に参加した。
1759-1766年
デンマークロイヤルファミリーが白く硬い磁器に興味を持ち、シャンティイーから来たフランス人彫刻家のLouis Fourier に依頼したが、軟質磁器しか作れず、進展は少なかった。フレデリック5世の命だったので製品には「F5」と記されている。
1765年
フランス人のFournierとマイセンから来たMelhornはそこそこのものが作れたが、磁器の製造を断念した。 デンマークを去る際に、技術をRicherとMullerに伝えるように命じられた。フュルステンベルク窯の鉱山技術者J. G. von LangenがMullerに協力していた。
1772年
化学者Frantz Henrich Mullerが研究の結果により、よくできたサンプルを役所に送り、研究を続けられるよう援助を要請した。とてもよくできていて援助に値するとされた。
1773年
青の顔料となるコバルトをノルウェーの銀鉱で働いていた若者が見つけて報告した。当時の王クリスチャン7世は、採掘を命じた。
1775年
Mullerはまだ満足なものが製造できなかったが、Queen Dowager Juliane Marie女王が"Danish
Porcelain Manufactory"の設立を許可し援助。
5月にDowager Julian Marie王女が三本波線マークを提案し、採用された。三本線は大ベルト(シェラン島とフェン島の間)、小ベルト(フェン島とユトランド半島の間)、ダイスント海峡(シェラン島とスエーデンの間)の海峡を現す。
マイセンからFriedrich Abraham Schlegelがロイヤルコペンハーゲンに移籍。後にブルーフルーテッドペインターの第一人者となる。 1775年からブルーフルーテッドプレインは存在した。
1775-1778年
第一ボーンホルム期 ボーンホルムのカオリンを使ったため灰色がかった製品が製造された。
1776年
伝説のフローラデニカペイター、バイエルがロイヤルコペンハーゲンの記録にブルーペインターとして現れる。
1779年
全く売れず、出費のみがかさんだため、資金援助していたKing Christian VIIが買いとり、王室に所有されることになった。 全く売れず、大量の在庫を抱えたビジネスを買い取りことはリスキーだったが、それよりも国家の威信をかけて国内製造するという野望があった。 名称が"The Royal Copenhagen Porcelain Manufactory"となる。
ブルーフラワー プレインとカーブ製造開始
1780年
本やカタログはないが、現存するものを見ると、豊かな想像力の産物であることが分かる。
1790年
ロシアのエカテリーナ2世に贈られるために草花を描いたフローラダニカの製造が始まった。
1793-1801年
フランス革命とその後の混乱でボーンホルムのカオリンを使用する第二ボーンホルム期
1796年
フローラダニカ完成前にロシアのエカテリーナ2世死去 フローラダニカは80人用から100人用を目指して製造続行となった。
1802年
フローラダニカ1800点以上を作り上げ、完成まであと96点で製造中止。ペインターのバイエルは12年に及ぶ過酷な労働で失明した。バイエルは手厚い年金で暮らした。
1803年
1月29日フローラダニカがクリスチャン7世の誕生祝の席で使用された。 その夏ローゼンボーに納入
1807年
イギリスによるコペンハーゲン爆撃
1820-1840年
Wilhlemine王子とCarolineの結婚式、Christiansborgの再建のために、King Frederik VIが1820年代後期から1830年代の初期にかけて多くのデザート用食器を作らせた。
1849年
デンマーク発の民主憲法制定。 王室が市場を独占するのが困難になり、売りに出されるが1868年まで買い手が付かなかった。 事業に見込みが無かったのではなく、大量の在庫があっためである。
1863年
英国皇太子エドワード7世とデンマーク王女アレクサンドラの結婚式に60人用とフローラダニカディナーサービスが使用された。 現在エリザベス2世が所有している。
Aluminia設立
1868年
民間(G.A. Falck)に売却。
1882年
FrederiksbergにあったAluminiaの所有者Philip Schouへ売却。 Philip Schouは日用品を製造していたこのAluminaの事業拡大のためには磁器の製造・販売をしなければならないと考えたが、その技術が無かったため、The Royal Copenhagen Porcelain Manufacutoryの買収を決断した。 当時、Aluminiaの方が経営状態は良好であり、そのブランド名は1963年まで並行して存在し、日用食器等で親しまれたので、年配のデンマーク人にとっては懐かしいブランドである。
1884年
SchouはKobmagergaeからFrederiksbergに移した。その場所には(当時か?)草花や動物が多く、作品のインスピレーションが得られた。
1885年
Arnold Krogを美術監督にした。
Philip SchouがThe Nordic Exhibition of Industory, Agriculture and Artの工業部門の副会長に就任、出品準備開始。
1888年
Krogは美しいブルーフルーテッドパターンを復活させた。また、現在イヤープレートに用いられている手法を確立し花瓶を作製した。 それをThe Nordic Exhibition of Industory, Agriculture and Artに出品し成功を収めた。ブルーフルーテッド ハーフレースとフルレース、ホワイトフルーテッド ハーフレース製造開始
1889年
バリ万博にアンダーグレーズ品のフィギュリンを出品しまたも成功を収める。ニューヨークにも出店。
1891年
銀行からビングオーグレンダールの買収話あったが、Philip Schouは断った。
1892年
シーガル ビングオーグレンダールで製造開始
1895年
ロイヤルコペンハーゲンのペインターF.A.Hallinがビングオーグレンダールに移籍し、ロイヤルコペンハーゲンに先駆けてイヤープレートの製造を開始した。
1902年
1908年
ロイヤルコペンハーゲンの最初のイヤープレートが製造された。
1920年代
Arnold Krogのデザインが著作権法で保護されることに決定。輸入業者は罰金を払い、輸入した製品は壊されることになった。
1922年
デンマーク大不況
1940年
デンマークがナチスドイツに占領された。
1945年
第二次世界大戦修理用によりデンマークがナチスドイツに占領から解放。
1949年
デンマークNATOに加盟
1972年
Georg Jensen Silversmiths 買収
1978年
プリンセスブルー製造開始
1985年
Holmegaard Glassworks 買収
1987年
Bing & Grondahl を買収
1990年
ムシカ製造開始
1997年
Orrefors Kosta Boda AB(Sweden), Boda Nova Hoganas Keramik AB (Denmark),
Venini(Italy)を買収。 Royal Scandinavia 設立。Orrefors Kosta Bodaの前身Kosta glassworksは1742年設立で、Royal
Copenhagenよりも古い。
資本比率はカールスバーグが 64.9 %, RC Investments Ltd.が 19.2 %、Royal
Scandinavia 自身が8.7 %、そのほか. 7.2 %。 カールスバーグは1847年設立のデンマークのビール会社。RC
Investmentsはケイマン諸島の投資会社。
2000年
カールスバーグはヨーロッパの人たちがビールよりもワインを飲むため、業績が伸びず、株式の大半を投資会社Axelに売却した。 AxelはRoyal Scandinaviaの51%の資本を持った。Axelは1994年に設立されたばかりだが、15,000人の従業員を抱える。カールスバーグのシェアは28%、RC Investmentsのシェアは21%となった。 カールスバーグはチボリ公園の株主だったが、ほぼ同時期に43%を他の会社に売却した。
ブルーフルーテッドメガ製造開始
2003年
アジアへ工場進出。 タイでのブルーフルートペイント工場稼動開始。 そのほか、マレーシア、スリランカでもフィギュリン製造を始める。
ハネマン、ホワイトフルーテッドプレイン、ムシカの製造開始
2004年9月
ロイヤルコペンハーゲンのフレデリクスボーの工場がGlostrupに移転し、これまでのフレデリクスボーの工場はウェルカムセンター/ミュージアムになった。フレデリクスボーの工場は歴史を感じさせる建物であり、煙突が残っている。
2004年12月
大株主のAxelがRoyal ScandinaviaのPaul Plougmann会長を解任
2005年4月
価格改定(値上げ)
2006年2月
デンマークのユランズポステンが掲載した風刺画が問題となり各地でデモ
2006年
ニューメガ、ブラックフルーテッド・プレイン、ブラックフルーテッド・メガ、ホワイトプレインシグネチャ登場